大判例

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大阪高等裁判所 昭和62年(行コ)4号 判決

控訴人

地方公務員災害補償基金神戸市支部長

宮崎辰雄

右訴訟代理人弁護士

奥村孝

右訴訟復代理人弁護士

中原和之

被控訴人

亡大藪藤次郎訴訟承継人

大藪浩男

右訴訟代理人弁護士

麻田光弘

右同

丹治初彦

右同

鎌形寛之

主文

原判決を取り消す。

被控訴人の請求を棄却する。

訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。

事実

第一  当事者の申立

一  控訴人

主文と同旨

二  被控訴人

1  本件控訴を棄却する。

2  控訴費用は控訴人の負担とする。

第二  当事者の主張

次のとおり付加、訂正するほか、原判決事実摘示と同一であるから、ここにこれを引用する。

(原判決の訂正)

一  原判決五枚目裏二行目から同六枚目表九行目までを次のとおりに改める。

「(三) 都志江の健康状態

神戸市が、昭和五〇年一〇月一三日に実施した保育労働者の健康診断において、都志江の右診断の結果は、判定として「「C2」医師の指示に従つて治療を受けること(側彎、変形性の変化、椎間板症?)」とされたが、脊椎の検査の項には、変形はなく、圧痛が存しているにも拘らず叩打痛はなしとされた。したがつて、側彎変形性の変化という診断とは矛盾が存し、椎間板症の診断の根拠も明らかではない。そして、右診断結果に基づく注意として、都志江に対しては、すべての注意事項が指示されていた。」

二  原判決七枚目裏四行目の「極」を「極み」と改める。

三  原判決一六枚目表五行目から七行目までを、「(四)(三)のうち、都志江の健康診断の結果、その際の注意事項が被控訴人主張のとおりであることは認め、その余は争う。」と改める。

四  原判決二四枚目表六行目から九行目までを

「4 都志江の健康状態について

(一) 神戸市が都志江に対してなした診断結果に矛盾はない。すなわち、」と改める。

五  原判決二四枚目表一〇行目の「(1)」を削除し、同裏四行目から同二五枚目裏四行目までを削除する。

六  原判決二九枚目裏五行目の「例え」を「たとえ」と改め、同三一枚目裏一一行目の「対象」の次に「となるものではない。」を加え、同一二、一三行目を削除する。

七  原判決三三枚目裏三行目の「珍らしいもの」を「珍しいこと」と改め、同三四枚目表二行目から六行目まで、及び同三五枚目表八行目から一〇行目までを削除し、同一一行目の「(6)」を「(5)」と改める。

八  原判決三六枚目表一〇行目から同裏五行目までを削除し、同六行目の「高血圧でもなく、神」を「高血圧でもなかつた旨主張する。」と改め、同七行目及び同三七枚目表三行目から同三八枚目表九行目までを削除する。

(控訴人の当審主張)

一  本件の死亡原因となつた疾病「脳動脈瘤破裂くも膜下出血」の公務上・外の認定においては、地方公務員災害補償制度上、「公務と相当因果関係をもつて発生したことが明らかな疾病」に該当して初めて公務上の災害と認められる。

そして、右相当因果関係については、被災職員に特定の疾病に罹患し易い病的素因や基礎疾病があるなど他に発症の原因がある場合でも、直ちに相当因果関係を否定するものではないが、職員が通常の労働環境に比較して著しく劣悪な状態下で業務に従事したり、普通以上に過激な労働に従事したため、過度の身体的負担、精神的緊張を来たし、それが右記病的素因その他を刺激して発病又は急激に増悪させたと認められる場合に初めて、公務に起因するものとしてその相当因果関係が肯定されるものである。

二  都志江の疲労状況及び原因について

1 都志江の健康診断の結果中、僧帽筋の圧痛(+)を初めとする諸検査結果があることから直ちに都志江が疲労状況にあつたとすることはできない。

とりわけ、諸検査結果のほとんどが都志江の主訴に基づくものであり、客観的所見とは認め難い。疲労状況を判断する上で、上肢等の疲労時に出現する頸肩腕症候群の診断に用いられる血管圧迫テストであるアドソン試験、ライト試験、気をつけ姿勢試験及びスパーリング試験はいずれも陰性である。他覚的所見が得られていないなか、都志江が治療又は服務上の措置を要する程度に職務上の疲労状況にあつたものとは考えられない。

2 都志江に「側彎変形性変化、椎間板症の疑い」があつたとしても、それは脊椎の器質的異常であり、疲労的徴候を示すものではない。

3 発症前の都志江の勤務状況をみても、次のとおり通常の公務に比較して特に過重であつた事実はなく、かつ発症当日、就業前に既に疲労状況を呈していたことから、私的な精神的、肉体的疲労の存在を無視することはできず、私的疲労に起因する脳動脈瘤破裂発症の可能性が高い。

(一) まず、手まち時間は、現実の作業を伴わない待機時間を意味するが、都志江の昭和四九年度における自己研修等はこれに該当しない。都志江は、当該時間に自己研修としてのオルガン練習、保育の準備等現実の作業に従事しており手まち時間ではない。

そして、自己研修等は多聞台保育所の幼保合同保育を実施するクラスにおいてのみ認められるものであり、神戸市立保育所保母の一般的勤務では認められない。都志江は昭和四九年度の勤務で自己研修等があつたが、保育業務で他の保母と比較して軽度であつたにすぎず、昭和五〇年度の二歳児クラスを担当することにより一般的な保育所保母の業務量となつたものであり、過重な業務に就いたものではない。

(二) 休憩時間については、保育所保母の職務の性質上、児童在所時に一斉にこれを取得することは困難であるので交替で児童の午睡時間に取得することになつている。したがつて、都志江が他の事務職員等と比較してその取得が困難であつたとしても、他の保育所保母と比較して著しく休憩時間の取得が困難であつた訳ではない。

(三) 次に、労働内容の変更に伴う精神的対応については、五歳児と二歳児では保育内容に差異はあるが、反面、保母の配置では、昭和四九年度では五歳児で幼保合同保育の併任発令保母と併せて保母二名が配置されていたものの児童二九名を保母一名で担当していたのに対し、昭和五〇年度では二歳児一七名を保母三名で担当しているから、保母一名当たりの精神的かつ肉体的負担をみた場合、両年度に差異はなく、かつ両年度ともに厚生省保育所設置基準(四歳児以上の児童三〇名に保母一名、一歳〜二歳児童六名に保母一名)を充足している。したがつて、都志江が二歳児クラス担当になつたことに伴い公務が過重になつたものではない。

(四) 時差出勤については、保育所の開所時間(午前七時三〇分〜午後六時三〇分。一日当たり一一時間)と保母の勤務時間(週当たり四四時間)を調整すべく実施されているもので、その方法は神戸市立保育所共通のものであり、過重な公務ではない。

(五) 年次休暇については、都志江は昭和四九年度で年次休暇・夏期特別休暇を二〇日、生理休暇を二日、昭和五〇年度(四月〜一一月六日)で年次休暇・夏期特別休暇を9.5日、生理休暇を四日取得している。生理休暇については個人差があるものの、年次休暇・夏期休暇については保育所保母の平均的取得日数と比較して都志江の休暇取得が困難であつた事実はない。かつ、年次休暇・夏期特別休暇の取得に当たつては使途は自由で私用を弁ずることも可能であり、休暇取得の状況が疲労状況を意味するものではない。

(六) 都志江の平均超過勤務時間は、昭和四九年度で年間一一六時間=月平均9.7時間=週当たり2.4時間、昭和五〇年四月〜一〇月で四三時間=月平均6.1時間=週当たり1.6時間となつており、保育所保母の月平均超過勤務時間と比較して多少多いが、超過勤務時間を神戸市職員の週当たりの正規の勤務時間四四時間と併せても労働基準法三二条一項に定められている週当たり四八時間を下回つている。保育記録記入、行事準備のため超過勤務につくことは、当時及び現在も保育所保母に見受けられ、個々の保育所保母により多少の差はあるが、特に都志江に過度に集中したものではなく、超過勤務により公務が過重であつたものではない。

第三  証拠〈省略〉

理由

一請求原因1ないし3の各事実は、当事者間に争いがない。

二そこで、以下、都志江の死亡が、公務上の死亡であるか否かについて判断する。

1  地方公務員災害補償法三一条に定める「職員が公務上死亡した場合」とは、職員が公務に基づく負傷又は疾病に起因して死亡した場合をいい、公務と右負傷又は疾病との間に相当因果関係のあることが必要であり、単に右職員が公務の遂行時又はその機会に死亡したような場合は含まれないものと解するのが相当である(最高裁昭和五一年一一月一二日第二小法廷判決・判例時報八三七号三四頁参照)。そして、右の相当因果関係があるというためには、公務遂行自体が多かれ少なかれ精神的、肉体的な緊張又は負担を常時伴うものであるから、経験法則に照らして、当該公務遂行自体に当該負傷又は疾病を発生させ死に至らしめる蓋然性又は危険性があつたものと認められることを要する。もつとも、右死亡が公務遂行を唯一の原因とする場合に限らないのであつて、被災職員に特定の疾病に罹患し易い病的素因や基礎疾病がある場合にも、公務の遂行によつて過度の精神的、肉体的緊張又は負担を来たし、これにより右病的素因を刺激して発病させ、又は基礎疾病を急激に増悪させ、その結果、死に至らしめたような場合には、右相当因果関係が肯定させ、公務上の死亡と認められるものと解するのが相当である。

2  そこで、都志江の健康状態、死亡前の勤務及び私生活による疲労の程度、死亡当日の勤務状況等について、順次検討する。

(一)  都志江の健康状態

〈証拠〉を総合すると、以下の事実が認められ、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

(1) 昭和四九年二月二六日の神戸市職員採用時の身体検査において、都志江は虫垂炎以外特記すべき既往の疾病はなく現在の健康状態は「普通」と申告しており、同日実施の検査の結果、整形外科・耳鼻科・内科的診察及び胸部X線・尿検査のいずれにも異常は認められなかつた。

(2) 神戸市職員在職中の健康診断においても、昭和四九年七月二九日及び同五〇年二月六日受診の結核健康診断の結果はいずれも「健康」であり、昭和四九年九月二〇日実施の成人病健康診断においては、血圧一四二―八〇mm/Hg(以下、血圧に関するかぎり単位を省略する。)、尿蛋白及び尿糖はいずれも陰性、ウロビリノーゲンは正常で、「著変なし」の判定がされている。ただし、右血圧については、最大血圧一四〇以上は世界保健機構(WHO)の基準では境界域高血圧に入るが、右血圧値では治療の対象にはなつていない。

(3) さらに、昭和五〇年一〇月一三日に実施された社会福祉施設職員の健康診断(特殊健康診査)においては、① 筋肉疲労徴候として左右僧帽筋の圧痛(+)、左右のⅠ―Ⅱ指及びⅠ―Ⅲ指間のつまみ力の低下、手指屈伸時のだるさなどの異常所見、② 脊椎の部位は不明だが、圧痛(+)、左上臀神経の圧痛(+)及び膝蓋腱反射の減弱などの神経根症候、③ 腰部筋の疲労徴候としての体右稔じり(+)及び体右屈(+)などの異常所見が認められ、「C2」すなわち要治療の段階にあるとの判定がなされ、多項目にわたる指示がなされた。もつとも、上肢の検査におけるアドソン試験、ライト試験、気をつけ姿勢試験及び脊椎の検査におけるスパーリング試験はいずれも陰性であり、頸肩腕症候群の所見はない。なお、右診査結果は、都志江の生存中には通知されていなかつたので、同女は右異常所見に対する治療を受けていなかつた。

(4) 都志江は、昭和四九年四月一日に神戸市に採用されて以来、健康保険証による任意の受診はしていないが、平素から頑固な頭痛に見舞われることが多く、セデスなど市販の薬を服用しており、特に生理日には頭痛が著しく、月約一回の定期的な間隔をおいて頭痛を理由に休暇を取得し、そのうちの相当回数は、生理休暇として取得していた。

(二)  都志江の死亡前の勤務状況及びこれによる疲労の程度

〈証拠〉を総合すると、以下の事実が認められ、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

(1) 神戸市が昭和四九年四月一日に都志江を採用する前の同女の経歴は、控訴人の主張三1のとおりである。

(2) 都志江は、神戸市に採用された昭和四九年四月一日付で多聞台保育所に配属されているが、同保育所の勤務体制等は次のとおりである。

(ア) 同保育所の昭和五〇年一一月現在の定員は、一、二歳児の乳児が三〇名、三ないし五歳の幼児が八〇名であるところ、実際の人数は一歳児が一三名、二歳児が一七名、三歳児が二四名、四歳児が二八名、五歳児が二七名の合計一〇九名であり、職員のうち保母の人員は、所長、主任保母、五歳児担当の保母及び四歳児担当の保母が各一名、三歳児担当の保母が二名、二歳児担当の保母が三名、一歳児担当の保母が二名(うち一名はアルバイト保母)のほか、パートの保母が二名である。右パートの保母を除く保母数は、厚生省の保母配置基準に基づき同保育所の収容乳幼児数から算出した保母数より二名多く配置されており、さらに同保育所が一般の保育所よりも長時間保育を実施している関係で右二名のパートの保母が配置されている。

(イ) 同保育所の就業時間は、平日で八時間以内であるが、同保育所では午前七時三〇分から午後六時三〇分までの長時間保育(一般の保育所では午前八時から午後五時までである。)を実施している関係で、保母は時差出勤をしており、平日では午前九時三〇分始業、午後五時三〇分終業の場合が最も多いが、午前七時三〇分ないし午前八時三〇分始業の場合が一週間に二回程度ある。

(ウ) 同保育所は、五歳児につき、多聞台幼稚園との幼保一元化方式(多聞台方式)を実施しており、これにより保育所、幼稚園のそれぞれのカリキュラムの長所を採用して幼児が小学一年生になるときには同じ保育水準になることを目指している。このような試みは、例が少ないので、他都市等からの見学者が同保育所を訪れることが少なくない。

(3) 都志江は、昭和四九年度は、五歳児(幼保一元化対象クラス)二九名のクラスを担当していたが、幼保一元化対象クラスであつたため、午前中の保育は、保育所・幼稚園兼務の担当者に任せ、その間は、自己研修として、オルガン練習又は保育の準備をした後、午後の保育に従事していた。なお、右自己研修は、幼保一元化対象クラスにおいてのみ認められているものであり、神戸市保育所保母の一般的勤務では認められていない。

そして、都志江は、昭和五〇年度は、二歳児一七名のクラスを他の保母(中岸ちづよ及び大森順子)と共に担当していたが、右中岸は昭和五〇年四月から同年七月までいわゆる産休を取つたので、その間アルバイト保母一名でまかなつた。なお、右大森は昭和五〇年四月新規採用の若手(二〇歳位)の保母であつた。なお、昭和五〇年度の二歳児の中に、やゝ情緒不安定な乳児がいて、都志江が四月から夏ころまでその乳児を担当し、時には一対一となつて世話をしていたが、その乳児も夏休み後は集団生活にようやく馴れ、都志江自身が特別世話をやくこともなくなつた。

(4) 都志江の死亡前月である昭和五〇年一〇月の同女の始業及び終業時刻は、控訴人主張三3(二)のとおりであり、また、同女の昭和五〇年八月から一〇月までの休暇取得及び超過勤務状況は、控訴人主張三3(三)のとおりであり、結局、休暇の取得日数は合計9.5日、超過勤務時間の合計は一五時間五〇分であるが、他の二歳児担当の保母二名のそれと比較して特段の差異はない。

(三)  都志江の性格及び私生活状況

〈証拠〉を総合すると、都志江は死亡当時三二歳の女性であるが、真面目、熱心、内向的でやゝ神経質な性格であつたこと、都志江はもともとピアノ又はオルガンの演奏が不得手であつたので、昭和四九年六、七月ころから死亡するころまでの間、小学校の音楽教師を週一回自宅に呼んで自ら購入したピアノで三〇分ないし四〇分間レッスンを受け、死亡直前ころにはバイエル七〇番台まで進んでいたこと、しかし、ピアノ演奏の技量は初心者の域を出ずそれ程の進歩もなかつたので、童謡の「まつぼつくり」「どんぐりころころ」などは楽譜どおりに弾かないで幼児の歌のリズムに合わせることを主眼としてこれを右教師に一部修正してもらうなど、ピアノ又はオルガンの技量にはかなり悩んでいたことが認められ、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

(四)  都志江の昭和五〇年一一月六日の勤務状況

〈証拠〉を総合すると、以下の事実が認められ、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

(1) 都志江は、当日午前八時ころ、遅れたといつてタクシーで出勤し、午前七時三〇分出勤の保母二名と共に子供達を受け入れるための準備を始めたが、昨日は大きな買物をして疲れたと洩らしたり、本来は自分で運ぶカーペットを同僚に運んでもらうなど大変疲れた様子であつた。その後、全職員が揃うまで一歳児の保育室一か所に登園してきた乳幼児すべてを集め自由遊びをさせたが、この時も、都志江はその日に限つて座り込んで子供と遊ぶなどやゝ行動が異常であつた。

(2) 都志江は、午前九時五〇分ころ、乳幼児たちをクラス別に分け、他の同僚保母二名と共に、担当する二歳児一四名を二歳児の保育室「すみれ組」の部屋に連れて行き、当日の設定保育(その日毎に、ハサミ使い、絵書き、オルガン楽器遊び、運動、散歩等のテーマにより行われる。)を開始した。設定保育は、三人の保母が一週間交替でリーダーとなつて実施するが、当日は都志江がリーダーとなり、担当二歳児をトイレに行かせ、出席をとり、ミルクを飲ませ、午前一〇時五分から同一〇時四五分ころまでテレビを見させた後、リズム合奏をすることになつていた。

(3) 二歳児たちが、テレビを見終つたころ、多聞台保育所の所長である門藤節子が、全国私立保育連盟の役員である女性保母の見学者一名を案内して、「すみれ組」の部屋を訪れた。当日、私立保育連盟の役員が見学に来ることは少なくとも三か月前に都志江ら保母に知らされていたが、見学者が室内にまで入り見学することは珍しく、昭和五〇年度において見学者が二歳児の保育室に入室したのは当日が最初であつた。なお、所長は、これまで随時、右室内に入つていた。

(4) テレビを見終つた後、リズム合奏に入るため、机・椅子等を出すなど室内の模様替えをし、二歳児たちを座らせ、都志江以外の保母は二歳児たちの中に入り、都志江自身はオルガンを弾く態勢に入つた。他方、門藤所長及び見学者は、都志江の後左斜め二メートル位で、都志江自身からは見学者等を見ることができない所に位置して見学を始めた。

(5) 都志江は、一曲目の童謡(まつぼつくり)を歌いながらオルガンを弾き、二歳児たちはカスタネットを叩くなどのリズム合奏を行つた。一回目が終つた後、門藤所長自ら二歳児たちの中にいる二人の保母のところへ行き、二歳児にとつて保育の一つの目標となつているカスタネットの正しい持ち方を指導した後、元の位置に戻り再び見学者と共に見学を続けた。都志江自身は、右門藤所長の右指導状況を目の前で見る位置関係にあつた。

(6) 都志江は、午前一一時過ぎころ、オルガンで二回目の「まつぼつくり」を弾き始めたが、その数秒後に、突然、後方へ倒れて意識を失い、救急車で佐野病院に運ばれたが、発病から約一時間後の午後零時八分死亡するに至つた。解剖の結果、直接の死因は、脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血で、右後交通動脈起始部に半米粒大(直径約三ミリ)の動脈瘤の破裂が認められた。

なお、前記証人門藤節子の証言中には、都志江は「まつぼつくり」の二回目の演奏を始めてからオルガンを弾き間違え、その後倒れた旨の証言部分が存する。しかし、同証人の証言によれば、同証人は前記認定のとおり他の二名の保母らに対しカスタネットの正しい使用方法を指導したので、その後は幼児らのみに注目し、オルガンの音がおかしいと気付いても都志江の様子を見ないでいたところ、突然物音がしたと思うと、隣に立つていた見学者が同証人の後ろを通り都志江のもとに駆け付けて、倒れかかつている都志江の身体を支えるのを見たというのであつて、また、都志江がオルガンを弾き間違えた後も演奏を続けたか、あるいは、都志江が弾き間違えた後意識的に演奏を中断したかについては、いずれも記憶がない旨証言する。以上の同証人の証言を総合すると、同証人は都志江がオルガンを弾き間違えた旨証言するが、都志江が発症後も暫時無意識的に演奏を続けたのが同証人には「弾き間違い」と聞こえたのではないかとの疑問(同証人は否定するが)を払拭し得ないのであつて、結局同証人の証言のみでは、都志江が正常な意識のもとにオルガンの演奏を間違え、その後発症したものと認定するには不十分であると言わざるを得ない。したがつて、「都志江は誰にでも明白なといえる曲の弾き間違いをおかし、急激な緊張の極みの中で、その数秒後に突然倒れたものである。」との被控訴人の主張事実は、これを認めることができない。

3  次に、脳動脈瘤破裂の一般的原因について検討する。

(一)  脳動脈瘤の成因と破裂

〈証拠〉によれば、脳動脈瘤(ほとんどが嚢状動脈瘤である。)の成因については、先天性要因、後天性要因、両者合併要因の三つの立場があり、定説をみないが、成人期以後のものは、欠陥部の脆弱化に後天的な血圧の上昇という負荷が加わつて、次第に壁の膨出が起こり増大するものとする考え方が有力であること、そして、その破裂は、大部分がDOMEと呼ばれる突端の部分で起こり、動脈瘤が動脈壁の筋層・内弾性板の欠損部から膨出して嚢状となる際、その円頂部は流入する血液の圧力をまともに受けて菲薄となり、破綻しやすい状態になることが認められる。

(二)  脳動脈瘤破裂の機序ないし誘発原因

(1) 〈証拠〉及び原審証人中桐伸五の証言は、脳動脈瘤破裂をもたらす因子には、大別して「血管壁に関する因子」と「一時的に血圧の上昇をもたらす要因」とがあるとし、血圧値の変動をもたらす要因として、体位、睡眠、血圧自体の日間変動、精神的影響、筋肉労働、食事、妊娠、アルコール、タバコ、肥満、温度、環境、発熱、栄養等をあげ、生活様式、労働条件など幅広い社会医学的検討が必要であるとしている。

(2) 次に、松崎鑑定及び原審証言松崎俊久の証言は、右破裂の原因としては、血流の乱流、拍動性のほか、高血圧が破裂の有力原因と考えられるとし、動脈硬化のあまり考えられない四〇歳以前の若年者では特に高血圧が破裂の有力原因となるとしている。

(3) これに対し、原審における米川泰弘の鑑定の結果(以下、「米川鑑定」という。)では、破裂の機序につき、病理学的には、動脈瘤壁の血管壊死と同時に起こる壁内出血に基づく壁組織の疎化による、あるいは動脈瘤に炎症細胞とフィブリンの浸潤が動脈瘤壁を脆弱化し動脈瘤の増大、血漿の浸潤を引き起こし破裂に導くとの考え方があるとし、他方、臨床的なデーターでは、破裂の発生部位、大きさ、形態、発生年令等に関連性があるが、アメリカでの調査結果では、破裂の三六パーセントは睡眠中であり、精神的興奮時の破裂は二ないし六パーセントにすぎない。その他、高血圧が破裂の誘因となるかどうかは見解が分かれ、全体としては初回発作に及ぼず高血圧の関与は少ないとしている。

(三)  脳動脈瘤破裂時の状況

松崎鑑定及び、原審証人松崎俊久の証言並びに弁論の全趣旨を総合すると、どのような状況下で脳動脈瘤の破裂が起こるかについての報告は少ないが、アメリカのロックスレイの報告では、睡眠中三六パーセント、特別何もしていないとき三二パーセント、物を持ち上げる、体を前屈するとき一二パーセント、精神的興奮4.4パーセント、排便4.3パーセント、性交時3.8パーセントなどとなつており、九大脳神経外科の報告では、動作中三〇パーセント、静止中一九パーセント、排便11.7パーセント、起立及び前屈時11.3パーセント、入浴8.5パーセント、睡眠中6.9パーセント、性交時3.2パーセント、飲酒3.2パーセント、重作業・スポーツ2.4パーセント、精神的興奮2.0パーセントとなつていること、右二報告はいずれも大病院に入院した症例の統計であること、さらに厚生省が、昭和五六年二月から三か月間に脳出血疾患で死亡した三〇歳以上の日本人につき、山形、愛知、高知の三県で実施した調査結果によると、調査できた二二二一例中一〇六例がくも膜下出血で、うち高血圧の既往のあるものが45.3パーセントであり、発病時の状況は、就業中24.5パーセント、用便中18.9パーセント、だんらん中13.2パーセント、就寝中12.2パーセント、食事中3.8パーセント、入浴中3.8パーセント、その他不明は3.7パーセントであつたことがそれぞれ認められる。

(四)  脳動脈瘤の大きさと破裂の関係

米川鑑定によれば、動脈瘤の大きさが直径五ミリ以下であればその破裂はわずか二パーセント以下で、六ないし一〇ミリであればその四〇パーセントが破裂するとし、〈証拠〉によれば、破裂した脳動脈瘤の大きさは、平均値で直径が男9.2ミリ、女17.4ミリであり、破裂しなかつた脳動脈瘤のそれは、それぞれ、男4.4ミリ、女4.9ミリであること、ただし、〈証拠〉によれば、脳動脈瘤の大きさは、剖検時においてはフォルマリン固定等により収縮しているため、生前の実際の大きさよりもかなり小さいことが認められる。

(五)  脳動脈瘤の破裂と年令の関係

〈証拠〉によれば、若年層では、全解剖症例に対する脳動脈瘤保有者の比率は、低くなつているが、脳動脈瘤保有者のうち破裂に至つた者の比率は若年層の方が高く、特に三〇歳から三九歳までで八九パーセントと高い比率になつていることが認められる。

4  以上の諸事実に基づいて、以下、都志江の死亡の公務起因性について検討する。

(一)  まず、都志江には、脳動脈瘤の存在という基礎疾病があり、これが破裂したことが直接の死因となつたものであるところ、〈証拠〉、原審証人中桐伸五及び同松崎俊久の各証言並びに松崎鑑定によれば、都志江の場合、脳動脈自体には動脈硬化が認められないので、右破裂の原因としては、右破裂させるに必要な血圧の上昇があつたとしていることが認められる。もつとも、〈証拠〉によれば、本件の如く動脈硬化が全く認められない動脈瘤が存在する一方で、脳動脈の硬化の著しいものではかえつて破裂が少ないことが認められるから、右硬化がないことをもつて直ちに「血管壁に関する要因」が全くなかつたとも断定し得ないが、特に右要因であることを認むべき証拠はないから、結局、本件においては、「一時的な血圧の上昇」により右破裂が生じたものと推認せざるを得ない。

(二)  そこで、次に、都志江の前記高血圧症と右血圧上昇との関係について検討するに、都志江の血圧値は、昭和四九年九月二〇日測定時に一四二―八〇であつたが、松崎鑑定及び原審証人松崎俊久の証言によれば、厚生省が実施した昭和五五年循環器疾患基礎調査に基づく、三〇ないし三九歳の関西地区在住の女性の最大血圧平均値は118.3(標準偏差値11.6)で、最小血圧平均値が72.7(標準偏差値9.8)であつたことから、当時三一歳であつた都志江の血圧値一四〇は特に最大血圧値において平均値に標準偏差値の二倍を加えた141.5より高値を示しているところ、正規分布曲線では141.5より高値を示す者は2.28パーセントしかいないと推定されるから、都志江は軽度であるが、高血圧症と認められること、そして、後天的な血行因子と高血圧の関与を認める学説もあり、前記のとおり脳血管疾患で死亡した者のうちに高血圧の既往のある者が相当数あり、動脈硬化があまり考えられない四〇歳以前の若年者では、特に高血圧が破裂の有力因子となつていること、本件の場合、都志江は先天的に血管壁に問題があり脳動脈瘤を生じたところ、前記のとおり軽度であるが境界域高血圧により脳動脈瘤は破裂しやすい状態にあつたことが認められる。右認定に反する米川鑑定はこれを採用しない。そうすると、前記の破裂の原因である血圧の上昇と都志江の高血圧とは全く無関係ということはできないものというべきである。

(三)  しかるところ、右〈証拠〉、原審証人中桐伸五及び同松崎俊久の各証言並びに松崎鑑定には、都志江は、本件事故発生直前までは従来と変らない健康状態であつたが、前記設定保育中に著しい精神的緊張状態に置かれたため、血圧が急激に上昇したことにより脳動脈瘤が破裂し、健康状態が急変した旨の供述又は記載がある。

しかしながら、都志江は前記認定のとおり、いわゆる頭痛持ちであつたものであるが、右が単なる生理痛であつて、本件脳動脈瘤の存在又は高血圧症と全く無関係であつたものとは断定できないし、また、同女は高血圧症であつたうえに、前記のとおり死亡当日の朝は特に体調を崩し、やゝ異常な状態であつたから、右時点で既に相当の血圧の上昇があつたものとも推認されるのであり、本件事故発生直前までは従来と変らない健康状態にあつたものとは到底認め難い。もつとも、右松崎鑑定には、都志江は、慢性的な疲労により動脈瘤が悪化していたとの記載がある。確かに、前記認定事実によれば、都志江は、昭和五〇年度に入り、五歳児担当からかなり自律性等の点で劣る二歳児担当に変つたことにより、常時精神の緊張と乳児に対する安定した精神の対応が要求され、前年度に比し、より疲労度が増していたであろうことは推認するに難くない。しかし、同女の前記勤務状況、勤務内容を他の同僚保母と比較しても、同女のみが特に過重であつたものとは認められないし、一般的基準からみても、これが右基準に違反し特に過重な労働であつたものとは認められない。したがつて、疲労自体が動脈瘤の悪化又は破裂にどのように影響するかについては明らかではないが、仮に全く無関係でないとしても、少くとも右破裂が公務に基づく疲労による悪化であるものと認めることはできない。

次に、前掲(三)の各証拠には、前記設定保育中に、見学者がオルガン演奏中の都志江の背後に立つて、いわばのぞき見るような行動がなければ、本件動脈瘤の破裂という事態は避け得た可能性が大であるとの供述又は記載がある。しかし、前記認定のとおり、見学者は都志江の背後二メートルの位置に立つて見学していたが、特に後からのぞき見るような動作をした訳でもなく、他に異常な行動は全くなかつたものであるし、所長についても、途中で都志江以外の保母の保育方法に一部介入する行為があつたが、これとても所長として当然の行動であり、都志江にとって予想外のものではない。さらに、前掲各証拠中には、都志江が内向的で神経質な性格であつたから、見学者が保育室の中まで入り都志江の視野に入らない後方から見学すること自体が都志江にとつて大きな精神的緊張をもたらした旨の供述又は記載がある。しかし、都志江にとつて、見学者の見守る中での保育業務は始めてのことではなく、相当の経験を積んできており、当日の見学についても所長から予め知らされていたものであり、その保育内容も特別のものではなく、オルガンによる童謡の伴奏という通常の保育内容であるから、都志江にとつて特に精神的負担が大きかつたものとは認められない。確かに、都志江はオルガンの技量に劣り、これを悩んでいたことは前記認定のとおりであるけれども、当日の演奏曲目は平易な童謡であり、現に第一回目の演奏は誤りなくこれを弾き終つているし、また、当日の見学者はわずかに一名であり、しかも、同人は多聞台保育所の保育方式自体の見学を目的としており、特に、保母の性格、技量等に関心を持つ幼児の保護者等の多人数が見守るような異様な雰囲気にあつた訳ではないから、都志江が特に自己のオルガンの伴奏に不安を持ち、周囲の目を気にしていたものとも認め難い。右を要するに、見学者に後方から見学されることによつて都志江が多少の精神的緊張下にあつたことは否定できないが、右認定の状況下においては、都志江にとつては通常の保育業務の遂行とほとんど変らない雰囲気にあつたものと認めるのが相当であり、これが極端な精神的緊張下におかれたものとは到底認め難い。さらに、精神的緊張自体が脳動脈瘤の破裂の原因となる可能性のあることは前記認定のとおりであるが、そのパーセンテージは4.4パーセント、2.0パーセント又は二ないし六パーセント程度であるから、精神的緊張を原因として右動脈瘤が破裂する可能性は一般的に極めて低いことが明らかである。よつて、都志江に急激な精神的緊張が襲い、これが原因となつて脳動脈瘤が破裂したとする前掲各証拠の供述又は記載はいずれもにわかに採用し難く、結局、以上の認定事実を総合すると、都志江の死因については、基礎疾病である脳動脈瘤が高血圧症と共に徐々に悪化し、これが自然発生的に増悪した結果、これが破裂するに至つた可能性が大であると認めるのが相当である。

(四)  以上の次第で、都志江の死亡は、同女の前記脳動脈瘤の存在及び高血圧症の基礎疾病が、同女の従事していた前記公務によつて急激に増悪され、右動脈瘤の破裂という結果を招来したことにより発生したものとは未だ認め難く、結局、都志江の死亡は公務に起因するものではないと認めざるを得ない。

三結語

してみれば、本件疾病が公務外であると認定した本件処分は適法というべきであり、したがつて右処分の取消を求める被控訴人の本訴請求は理由がない。よつて、これと異なる原判決は不当であるからこれを取り消し、被控訴人の本訴請求を棄却することとし、訴訟費用の負担について行訴法七条、民訴法九六条、八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官大和勇美 裁判官久末洋三 裁判官稲田龍樹)

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